2011年07月04日

松本に地震がきました

だまです。

6月30日の朝、松本に震度5強の地震が起きました。
我が家のある松本市南部が震源域という、まさに直下型でした。

まず最初に…、
メールを下さった方、お電話下さった方。
本当に本当にありがとうございました。

生まれて始めての地震被害。

決して大震災ではないけど、
「このさらなる延長上に、阪神・東日本の被災者の苦しみがあるんだ!」と
実感するような体験でした。

前の夜から、震度1、2の群発地震が続いていました。

3月の震災の時に、
やはり宮城で、震度3、4の群発地震が続いていたのを思い出し
「こりゃ、少し大きいのが来るかな」と予測。

ウラ夫に言って、テレビを床に下ろしておいてもらいました。

30日の朝も、地震速報にもスルーされる程度の
小さな地震が頻発。

朝食が食べ進まない那央(3歳)に
「なーちゃん、おっきい地震が来て避難所に行くようになったら
 ご飯いっぱい食べられないよ!食べれる時に食べちゃいな!」
などといって、せかしていたです。

その15分後、地震は発生しました。

ゴゴゴーっという、轟音。
家全体がブレるように揺れ、咄嗟に
まだテーブルについていた那央を抱きあげ
覆いかぶさるように、床にふせました。

轟音と同時に、ビクン!とおびえて、手を伸ばしてきた那央。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ♪」と背中をさすりつつ、
夫婦どちらからともなく「うわぁ、来ちゃったなぁ」

揺れはすぐに止みました。
でも、しばらくは、近所の犬や小鳥が騒ぐのを聞きながら
動けませんでした。
もう一度「来ちゃったなぁ」とつぶやいてみたりして。

那央は、泣きもせずケロリとしているので
(まぁ、それはそれで問題だけど)
ひとまず、ウラ夫に頼んで、近所に声をかけにいきました。

うちのご近所さんは、年配の女性世帯主が多い。

「○○さーん、だいじょうぶー?」ときくと、
ひとまずの返事があったり、顔を見せてくれたりして、
隣組やご近所さんは無事の様子にひと安心。

ほどなくして、皆が近所の空き地に集まった。
誰もが顔に動揺を隠しきれない。

「ちょっとぉ、何これ?怖かった~」
「どうしよう、家ん中めちゃくちゃだよ!」
「心臓がどきどきして、おさまんないよ」
「こわくて、へぇ、家に入れない!」
「生まれて初めてだよ、こんなこと!」と85歳の大家さん。

心臓が悪いという60代の奥さんは、顔が真っ赤。
とにかく、おばあちゃんとこの方には座ってもらおうと思って
ウラ夫に頼んで、物置から、キャンプ用のベンチを持ってきてもらう。

すると、近所にいながら会ったこともなかった
40代ぐらいの男性が、座る用のダンボールを持ってきてくれた。
那央と私はそこに座らせてもらう。

「とにかく落ち着こう!」お隣さんのこうちゃんママが
缶ジュースとお菓子を持ってくる。
うちも、那央が朝食で食べかけのサクランボとお茶を持ってくる。

その会ったこともなかった男性が、
TVの情報や、知人から集める情報を逐一伝えてくれた。

当然、松本の私たちがこんななんだから
他では、もっとひどい事になってるだろうと思ったし
TVじゃ、ニュース速報の嵐だと思っていたのに…

いたって、のんきな情報がつづく…

えっ?ここだけの地震ってこと?

「桐(松本の北部)に住んでいる人は、なんでもないって」

ええーーーーっ???

東北の地震の時に、被災地の方がTVに映って
「もっと報道してください!」と訴えていた気持ちが
ほんの、ほんの少しだけだけど、分かるような気がした。

そこに、緊迫した声で町内放送がかかる。

「町会長より、お知らせ申し上げます!!!
 先ほど、大震災が発生いたしましたっ…!!!」

…。

大震災?大?
大、ではないかも…


少し、冷静さを取り戻した私たちは(笑)
めいめい、家にひっこみ、散乱した荷物を片付けはじめました。

チャリン、チャリンと、割れ物を集める音が
方々から聞こえました。

うちでは、いち早くウラ夫さんが片付けをはじめていました。

少しでも早く「家族が危なくないような、一定のメドをつけて」
お店の方も見に行かなきゃならない、という事だったのでしょう。

しかし、私の心境としては
また次の地震が来たら、那央とお腹の子を守らなければならない
という恐怖でいっぱい。

正直、がれきの山と化した台所なぞ
放置しておいてもいい!ぐらいに思っていました。

発生直後に活動した疲れがどっと出て
お腹がパンパンに張ってしまい、
那央を抱きかかえて、横になっているのが精一杯。

同じようにいらだっているのに、
見ている方向の違いがあって、ウラ夫と少し衝突しました。

でも、結果としては、
翌日には、ほぼ平常化して、なんの問題もなく
歩けたり、お料理ができたりして、感謝しています。

翌日の信濃毎日新聞を見て、
松本市内でも、被害があったのは南松本だけとわかり、
本当にびっくり!こういうことってあるんですね!?

自分たちと同等か、それ以上の被害写真をいくつか見て
やっと納得がいくっていうか…。

情報の大事さを知りました。

それと、人のつながりって、いいもんだなぁっていうのも実感しています。

震災後のTVで被災者の人が
「人が声をかけあって、あたたかい」というようなことを言っていたけど
本当に、ご近所でいつも挨拶だけの方が、
自分のうちの様子や、周辺情報など、いっぱい話してくれて
言い方は変だけど、少しうれしいっていうか…。

30日の夜は、とにかく余震が怖くて、
(地中から、ゴーッとせまってくる!)
お腹がキリキリと張っては、呼吸法で落ち着き、
それでもドキドキして、なかなか寝付かれませんでした。

東北の妊婦さんたちは、もっともっと怖い思いを
長きに渡って、強いられている。

そう思うと、本当に切ないです。



Posted by ウラ夫 at 10:43│Comments(0)
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